今日はとハリウッドにも出られているという俳優さんとおなじみのフラットメートと三人で飲んだ。

役者さんとは素晴らしい職業であると改めて痛感した一時だった。
古代ローマでは舞台が国の在り方について議論したいわば国会のような場であり、そこで話をしていた人々こそが役者であったと。

演じることが人にどれだけの影響力があるかということ。演じることに対する責任感の大きさということを教えていただいた。

と同時に話をしていくとやはりどこか僕がやっていることやフラットメートがやっていることと共通点が不思議とあるもんだと感じた。

“降臨”ということと演じるということが結びついて、そして演じるということがいわば人々が共感できるように翻訳してもらっているのだということを理解した。
役者はただその背景を理解するだけでなく、その背景に自分を落とし込んで物事を描いていくため、歴史や物語の空気をひとびとに伝えることができる。
歴史ということが人が編集したものであるというのは百も承知であるが、それを一人の人間というフィルターを通して受け入れることで初めてその歴史に対する理解に近づいていくのかもしれない。

資本のために生きることが必ずしも人間の生き方ではなく、むしろもっと根本的なこと、自分が楽しいと思うことを生き、そしてそのために何ができるかを考える、そんなメッセージを彼から受けた気がする。
またもう一人、人間と人間の会話ができる素晴らしい人とまた会うことができた今日は素晴らしい金曜だった。

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